哲学ドーナツが投げかける“自分”とは?レヴィ・エリファと巡る思考の旅
「ドーナツの穴はどこまで穴なのか?」こんな問いかけから始まった今回のレヴィ・エリファによるゲーム実況。にじさんじのバーチャルシガソゴラバ、レヴィが挑んだのは、不思議な問答が続く話題作『ドーナツの穴』だ。“目の前の問い”にじっくり向き合うその姿と、リスナーと一緒に考える温かな空気で、配信は独特の盛り上がりをみせた。
見えない“穴”を巡る思考
まず飛び込んできたのは、誰もが知る「ドーナツの穴」の存在の問い。レヴィは「どこまでがドーナツの本体なのか?」「穴も含めてドーナツなのか?」と真剣に考察。「ドーナツは穴があるからドーナツなんだよな」と考え込む姿に、チャットも「ファ」や「ドーナツ」「考え」といったキーワードでいっぱいに。哲学的にも思えるお題に対し、ユーモアを交えながら自分なりの答えを出していく様子は、見ているリスナーもつい一緒に考えたくなる魅力に溢れていた。
食べ物からワープ装置まで、多様な問いに全力回答
続く問いでは「お肉とお魚、どちらかしか食べられないなら?」と究極の選択も登場。日常のリアルな悩みを織り交ぜながら、「魚の方が好きだけど、加工の手間も考えちゃうな」と軽やかに思考を巡らせるレヴィ。選択を重ねるごとに、「自分にとって何が大切か」を誠実に掘り下げていく。
さらに「たこ焼きを割ったとき、どの部分がたこ焼きか?」や「植物に命はあるのか?」など、日常の中に潜む小さな違和感にも正面から向き合う姿勢は、レヴィらしい温かさ。重たいテーマ——たとえば「臓器くじ」という仮定の制度についても、「無作為よりも、納得や意志が大切」とはっきり持論を語り、リスナーも思わず納得する場面が続いた。
“自分”とは何か?スワンプマンとワープ装置の狭間で
ゲーム終盤には、「ワープ装置で分解・再構築された自分は同一人物か」「記憶も身体も完全コピーされたスワンプマンは人間か」といった、よりディープな仮想問答が登場。レヴィは「記憶が同じでも、証明できないよね…」と、SF哲学の真骨頂に悩みながらも真正面から回答。「我を思うゆえに我あり」というリスナーのコメントにも共感を寄せるなど、哲学的テーマでありながらも配信の雰囲気は終始フレンドリー。
最後の選択、残るか出るか
ラストの問い「自分だけがこの部屋を出るか、残るか」に、レヴィは深く考えた末“残る”を選択。「現実でも世の中は選択の連続。同じように迷うことはたくさんあるよね」と、普段の生活とのリンクも忘れない。選択肢の統計ではこの結末を選ぶ人が約4割と知ると、「人と違う意見になるのも面白い」と率直な感想が飛び出した。
哲学は楽しい!レヴィ・エリファが届ける“問い”のエンターテインメント
難解な問いかけにもユーモアと知的好奇心で挑み、「自分とは何か」「選択とは何か」をリスナーと分かち合うレヴィ・エリファ。“考えること自体が面白い”と何度も語る姿は、配信の枠を超えて日常に小さな発見を運んでくれる。終始優しく柔らかい語り口と、自分の考えをはっきり持つバランスの良さもレヴィならでは。
ドーナツの穴のように、存在が曖昧で食べたらなくなる問い。その不可思議さを、レヴィ・エリファと一緒に冒険する——そんな贅沢なひとときが繰り広げられていた。哲学をもっと身近に、もっと自由に楽しむ時間。これぞレヴィゾウ流“思考のエンタメ”だ。
コメント (0)
コメントを投稿